今や紅白にも出場し、世間を騒がせるグループにまでなった純烈。
スーパー銭湯を舞台に活躍する歌謡グループのリーダーの酒井一圭さんと馬?
馬主になられてるんです。
馬とと純烈リーダーの酒井さんはどのような経緯で仲良くなったのか?
また、前川清さんとの関係は?すきっと解決しましょう。
今日は、競馬と前川清さんなどとのつながりを調べてみました。
- 純烈リーダーの酒井一圭さんの経歴
- 純烈リーダーの酒井一圭さんと競馬の出会い
- 純烈リーダーの酒井一圭さんと前川清さんとの出会い
純烈リーダーの酒井一圭さんの経歴
◆酒井圭一さん
日本の俳優、元子役、歌手、プロデューサー、作詞家
出身:大阪府吹田市
生年月日:1975年6月20日
身長:186cm
学歴:千葉県立柏西高校
まずは、酒井さんは幼い頃からお馬さんがお好きだったようです。
どうしたら馬主になれるのか色々ご自身で調べてみて、なんとなく稼いでいる人が
馬主になれるとわかったそうです。
新聞に純烈 酒井一圭47生誕祭とありますね〜(^^)
今年、初めて馬主資格を取られて、前川清さんと共同購入で馬を購入。
純烈リーダーの酒井一圭さんと競馬との出会い
そして、人生最大のピンチがきます。
撮影中の大怪我をしてしまいます。入院中に毎晩見た夢がなんと
前川清さん。(笑)毎晩出てきたそうですよ。
その時にムード歌謡で挑戦するというアイデアが思い浮かんだそうです。
ムード歌謡は、はやってなかった。だからいけるかもとおもった。
まつば杖をつきながら、競馬を見にいきました。
まさに、このタイミングで歴史的な挑戦をする馬がダービーに出ることに。
一般的には日本ダービーで牝馬が出ることは稀だそうです。
牝馬(ひんば)とはメスの馬を指します。
この表をご覧ください。
1953年からの牝馬の成績です。
1位を取ったのは、日本ダービーを制したのはウォッカだけ。
ウォッカこの馬が酒井さんの人生を変えた。
64年ぶりに牝馬がダービーで優勝。
自分も紅白めざそう。
競馬を見て、自分にもできると思った。
感動的な、この出会い。
足を怪我して脂汗かきながら松葉杖で行った府中の競馬場。
この時何かが変わったのでしょう。
純烈リーダーの酒井一圭さんと前川清さんとの出会い
シナノカラー2020は名前ではありません。
「シナノカラー」これは、母の名前で「2020」は生まれた年です。
これから酒井リーダーが名前をつけます。
実は幼い頃から、馬が大好きで、いつか馬主になりたいと願っていたそうです。
馬主になるには、どうしたらなれるのかとと漠然と馬主さんはどんな人がいるのかを探していたところ前川清さんが馬主だと知ります。
その後、夢に出てこられたりこのお二人はなんとも前世からご縁があった方なのかとびっくりします。
そのご縁から、一緒に映画出演を果たしたりと仲良くされています。
なんと今回の500万(税込)で共同購入した時の競りにも、前川清さんが娘さんと、スケジュールの合わなかった酒井リーダーとかわって競り落としてくださったそうです。
共同購入です。前川清さんとの。
ほんとに命の恩人ならぬ、いろんなピンチを救ってくださった前川清さんもすごいです。
まとめ
- 純烈リーダー酒井さんは馬が大好き
- 日本ダービーでのウォッカに触発されて紅白に出る夢を叶える
- 純烈ができたのも馬との出会いがなかったらなかった
純烈ができたのも、全てお馬さんから始まり、紅白にも出れる夢を叶えてくれました。
幼い頃からの夢であった馬主にもなりました。
みんなに夢を与える純烈の皆さんは、こんなエピソードから生まれたんですね。
「どんな悩みがあっても、いつでも純烈見にきて癒されて帰ってほしい。」というリーダーの優しさは
こんなところから来てるんですね。
これからも純烈応援したいと思います。
本日はリーダー酒井さんのお誕生日です。おめでとうございます。(6月20日)
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