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流通経済大学サッカー部監督はだれ?中野雄二の経歴は?

スポーツ

今でこそ、 プロに多数の選手を送り出す名門校になっているけれども20年前まではそうではなかった。その20年前のやんちゃな生徒やタバコを吸う生徒そして改造車を扱う生徒がたくさんいたその時代からここまで持ってきた中野裕史監督。

一体どのようにしてこのようになってきたのか ?
その経過が知りたいと思いませんか?

今回、20年前から中野雄二監督が生徒たちを指導する根底にあったものは何なのかを探ってみました。

  • 中野雄二監督の経歴
  • 中野雄二監督がこれまでどのようにしてプロ選手を輩出するまでに至ったのか
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中野雄二監督の経歴

https://4years.asahi.com/article/12102875

◆中野雄二監督

  • 生年月日:1962年10月17日
  • 出身地:東京都目黒区
  • 元サッカー選手、サッカー指導者、大学教授(スポーツ健康化学)
  • 日本サッカー協会指導者ライセンスB級保有

◆中野雄二指導歴

  • 水戸短大附属(現水戸啓明)高校プリマハムFC水戸ホーリーホック流通経済大学

◆中野雄二選手歴

  • 古河一高校→法政大学

流経大がサッカー部を「スポーツ重点部」にするにあたり、1998年に招かれた。流経大はサッカーのほかラグビーや柔道など七つのスポーツ部を重点部と定めて予算を割き、監督を置いている。当時の選手からも「強くなるために監督がほしい」との要望があったという。

ところが、 当時のサッカー部は部員が30人程度で全員がタバコを吸い車を改造しとても目を覆いたくなるような状態だったと言う。 最初は全員をやめさせようかと思ったが、全員に法律を守らせそしてどんなに厳しい練習でもついてくるようにと伝えた。

なんと、翌年の1999年には茨城県大学リーグで優勝し、初めて関東大学リーグ2部に昇格した。
監督はこの波になって改革しようとしたが、『このやりかたでいけたのだから。。』と方針をそのままにしてた結果、翌年の2000年はは1勝もできなかった。 関東リーグからも降格。

ほんとに勝負の世界は厳しいですよね。現状維持ではこうやって一勝もできない結果が出るって言うとがびっくりです。人生甘くないです。ほんとに(๑>◡<๑)

阿部吉朗の入部がきっかけで発展するサッカー部

中野監督はプリマハム時代に茨城の常総学院高校でも指導しており、当時の教え子だった阿部がこの年、流経大に入ってきた。ところが、リーグ戦には全敗。ここで、なんとか改革をしないとという思いで、今までの学生の生活形態を変えることに乗り出す。

ご飯もろくに食べず練習では勝てるはずがない。選手には栄養と休養が必要と考え寮の建設に乗り出す。 1棟 80人規模の最初の寮は2002年に約2億円をかけて建設されます。
この後、 2億円をかけて作った寮に入る入らないで揉めることになりますが、なんとか乗り切り、阿部さんをプロに出したいという念願を果たすために奮起されます。

中野監督が「こいつだけは絶対プロにしてあげたい」との思いで指導してきた阿部吉朗は、この年、4年生になっていた。さすがのプレーでチームを引っ張り、流経大は関東リーグ2部に昇格。その勢いのまま、関東大学選手権で準優勝。総理大臣杯全日本大学トーナメントでもベスト8に入った。阿部は在学中にFC東京と正式契約を結び、流経大初のJリーガーとして活躍。15年に引退すると、自費で人工芝のフィールドをつくり、子どもたちにサッカー教えている。

中野雄二監督の指導方針は『人のために』

中野雄二監督はこのようにどうしようもないサッカーチームを30名から現在では200名余りの生徒たちの大所帯にまで成長させます。今では、寮は4棟です。別の言い方をすれば200数十名の父親のような存在ですね。サッカーだけが上手くなれば良いのではない。そうではなく、まずは日常の生活をしっかりしよう。そこから プレーも日常の生活が現れるものだと部員たちに教えているそうです。

人間基本は、日常の過ごし方考え方。自分が基本です。このことを、当初の、生徒の時から指導の軸とされて、まっすぐブレずに指導されてきたことがやっと実り始めた感じですね。引退した阿部さんともいまだに家族ぐるみの、お付き合いがあること。

人間の1番の問題は自分自身にあることを、指導の柱にされてきたことが素晴らしいです。

中野雄二監督が教えるのは「人としてのちから」

この指導方針は徹底されていて部員が200数十名いる中で地域に災害が起こった時などは部員全員でボランティアに参加するなど地域の住民の為にも率先して動くと言う姿勢を貫いています。そのために地域では流通経済大学のサッカー部を応援するのぼりまで作られて地域の応援団ができています。

普通の大学の部活動を応援するまちづくりと言うのはなかなかないと思うのですが、そこは ここ20年にわたっての中野雄二監督のこつこつとした地道な行動が街の人たちの心も動かしたと言うことではないでしょうか。

ほんとに優しい目をした監督ですが、一本筋の通った考え方はとても素晴らしいと思います。
この考えこそが、体で覚えたプロのサッカー選手がたくさん輩出される所以でしょう。

これからも、中野監督の指導をもとめて、たくさんの選手が入部してきます。常にこの基本的な考えでこれからも頑張ってほしいですね。私たちにも、みならう部分がたくさんあります。

まとめ

  • 中野雄二監督が就任当時は、部員30年程度のカンちゃん生徒の集まりだった
  • 中野雄二監督の人としての力や人のためにを基本補往診としたことにより200名越えの部員がお互いに切磋琢磨して活動している

今日は大学のサッカー部の顧問である中野雄二監督について調べてみました。約20年間にわたり、とんでもないクラブを30名から200人以上までに成長させたこの手腕根底には人のためにそして人としての力をつけるためと言うのが基本方針にあると言う事は私たちにも共通することですよね。

「人生甘くない」と言うことをここで学習し、これからもたくさんのプロサッカー選手を輩出していて欲しいなと願っております。

中野監督これからも頑張ってくださいね。╰(*´︶`*)╯♡

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